「虐殺器官」伊藤計劃

伊藤計劃の書いた「虐殺器官」を読んだ。おおよそのあらすじは、以下のようになる。

911ではじまったテロとの戦いが続いている近未来が舞台となる。その頃、アメリカの軍隊は、陸軍(アーミー)、空軍(エアフォース)、海軍(ネイビー)、海兵隊(マリーンズ)、情報軍(インフォメーションズ)から構成されており、主人公の”ぼく”グラウヴィス・シェパードは、情報軍・特殊検索軍i分遣隊で大尉として従軍している。この部隊はアメリカ5軍の中でも暗殺を請け負う唯一の部隊であり、主人公も世界各地の紛争地帯で暗殺を遂行している。
そして、その世界では、ここ数年後進国での虐殺が増えてきている。その虐殺地帯に現れ暗殺対象になり、幾度も失敗し続けているジョン・ポールという人物が居る。この物語は、ウヴィス・シェパードが、その目標であるジョン・ポールをプラハやインドなど世界各地で追いかけていく話であり、その過程で虐殺の動悸や方法が明らかになっていく構成となっている。

著者の伊藤計劃は2009年に満34歳で逝去している。彼が小説家として活躍したのは、その早すぎる人生の最後の三年間であり、この「虐殺器官」は初めて出版された近未来SF長編小説となる。

凄惨な虐殺の描写をするイントロダクションと共に、それを成り立たせていた虐殺の文法と、ジョン・ポールを捕らえところで終りとせずに、エピローグ配されたアメリカ-世界の反転に至る構成に心を奪われた。
話の中心部になる虐殺の文法を組み立てる深層言語とクレオール語や脳機能にまつわるエピソードが、グラウヴィス・シェパードが殺意でさえも自分のものではないと感じる様、そして民間軍事請負業者の戦争を普通の仕事と同じようにプレゼンする態度と現場で起きている穴だらけにされた死体や家族と離れ離れになった子供の存在する現実との乖離などと相まって、自分の存在はそんなに自分ではないのだろうという気分にさせられる。

この小説は、様々な世界の問題(貧困や対立、そしてテロ)とテクノロジーを繊細に組み立てることで世界観を作り上げている。そうした世界観を作り上げている小道具の中で、オルタナ(副現実)という名称で(たぶんARの進化した姿なのだろう)現実にレイヤードされて視覚に情報が映し出される描写が未来の都市や建築の姿を想像させられた。
このオルタナは、もちろん戦場でも使われているが、それよりもプラハにおける第二次世界大戦の爆撃を免れた古都の姿とレイヤーされる大量の情報という対比が気になった。オルタナのプラハは「リドリー・スコットの創造したロスアンゼルス」= たぶんブレードランナーの冒頭のようであったと書く。
また病院でオルタナを見るためのデバイスを忘れてきた描写があり、その場では床に現れるマーカーで誘導を行なっていた。病院は複雑すぎて迷路のようであり、マーカーがないと迷っていたであろうと書いている。
そうしたブレードランナーの未来がオルタナの中にやってきたプラハの姿や、複雑な病院などから示唆されて、未来の都市や建築というのは、サインや広告の多くが撤退し、建物や街自体が入り組んだ姿をしているのかもしれないと想像をしてみた。つまりそれは建築が遅いメディアとしてのスピードを発揮できるような世界であり、広告のような速いスピードのメディアを必要とするものに合わせる必要がなくなり、また空間の心地よさではなく経路のわかりやすさを目指した動線計画などからの脱却が起きた姿かもしれない。もしもこの妄想通りであれば、これからの都市や建物は伽藍のようになるかバザールのようになるか分からないが、より空間的な豊かさを目指すようになるだろうし、その豊かさはARの発展形(オルタナ的な)を空間の余白として組み込めるような形へと変化していくのだろう。こうなっていくと未来の都市/建築は、案外とそのメディアとしての遅さにみあったどっしりとした空間経験を与えてくれるものになってくれるかもしれない。

以上「虐殺器官」を読んだ感想とそこから発生した妄想を書いてみた。

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